今、塗料はとても進化していて、高い機能性を備える塗料も多くあります。塗装の仕事をしていると、塗料や道具の進化に驚かされることがあります。同時に、昔の塗料や塗装はどういったものだったのか知りたくなることがあります。
みなさんも気になりませんか?
今回は「塗装の起源と歴史」を調べてみました!
塗料は「色付け」の道具だった
現在の塗料は、「建物を保護して耐久性を高める」「色彩で建物を美しくする」の大きく2つの役割を持っています。
塗装の起源は「ものに色を着けて美しくする」ことにあるようです。
石器時代に描かれた洞窟壁画には色がついています。多くは赤色で、白、黒、褐色も使われています。
色のついた土や燃え残った木の先の炭、動物の血液、樹液などを材料に「塗料」をつくり、色付けをしていたと考えられています。
大昔の人たちがなぜ色付けしようと思い、色を作り出したのか、不思議ですよね。
自然に存在するものを描き、色を付けすることには、呪術や豊猟の祈願などの意味があったのではないかと考えられているそうです。
現在使われている塗料の基本成分のひとつは樹脂で、これはもっとも重要な塗料の構成成分といえるものです。
樹脂と樹液はイコールではないものの、大昔の人たちが自分たちで採れる樹液を塗料にしていたことには驚かされます。
縄文時代には接着や保護の役割も
縄文時代になると、ウルシが土器や木製品などの色付けや保護・接着に使われるようになりました。
現存する日本最古の漆塗りは、縄文時代前期である9000年前に作られた副葬品。つい最近の2000年に北海道にある遺跡の調査時に出土したそうです。
副葬品が見つかる前は、約5,000年~6,000年前の漆塗りが日本最古のものであって、漆は中国から伝来したものだと考えられていました。
しかし2000年の出土により漆の利用は日本古来のものだとわかったそうです。富山県の遺跡からは縄文時代中期の赤漆塗りの木製品が出土しています。
なんとそれは、色褪せせず、ほぼそのままの形で残っていたそうです。漆を塗料にし、色付けと保護・接着をしていたのですから、当時の人たちは塗料の可能性に気付いていたのかもしれませんね。
江戸時代には機能的な塗料が誕生
時は経ち……塗料の進化が起きたのは江戸時代でした。
木材を腐らせないために、柿渋(現在も天然塗料として使われています)、膠 – にかわ(動物の皮や骨などを加熱して抽出した液状の物質)、松煙墨 – しょうえんぼく(松の枝や根を燃やして得たすすを膠で固めてつくった墨)、ベンガラ(酸化鉄を主原料とする赤色顔料)などが塗料として使われるようになり、塗装する場所によって使い分けられるようになったようです。
塗料の種類が豊富になっていったものの、この時はまだ、すべて植物性の塗料でした。
油性の塗料が広がるきっかけになったのは、江戸時代末期にペリーが黒船で来航したことでした。
ぺリーは「威圧的な印象にするために船を黒くしてきた」と思っている方がいらっしゃると思います。
実はそうではなく、木造の船が腐敗しないように、黒いコールタールを塗っていたのです!
コールタールとは石炭からとれる油状の液体です。つまり、油性の塗料はペリーの来航時に日本にもたらされたのです。
その後、明治時代になると、海外の塗料を国産化する研究が進められていき、塗装は工業になっていきました。大昔の人たちの発見が脈々と受け継がれ、今の塗装業の下地になったと思うと、改めてとても大切な仕事をしているのだなという気持ちなります。